2018年4月3日火曜日

菊池川流域装飾古墳一斉公開 石貫穴観音横穴


菊池川流域装飾古墳一斉公開で見学した三箇所目。
石貫ナギノ横穴群からはそんなに遠くないですが、石屋形の作りに多少違いが。
これなんか顕著ですが、元からそうなのか後世弄られたのか…。



「穴観音」の名前の由来となっている
千手観音像。見にくいけど奥壁のレリーフの方です。
後世彫られた可能性も議論されましたが、
横穴墓を造ったときに彫られた可能性が高い、らしいです。
千手観音像の様式が8世紀頃のようで、
それをもってこの横穴墓(群?)自体も8世紀頃に造られた、と考えられているそうで。
全部で5基ありますが、人のいない隙をついて写真を撮っていたらどれが何号墓かわからなくなりました。
まあいつものことですね。

これは千手観音が彫られていた横穴の開口部。
若干崩落の痕跡がありますが、
概ね石貫ナギノ横穴群の横穴墓と同じような作り。
入口向かって左側の上下に、
扉を動かすための軸をはめていたであろう窪みがあります。
扉で開閉可能な横穴墓なんて他にあるのでしょうか。
同横穴墓群内の他の横穴墓にもなく、ここにだけ。
瓦をあしらった石屋形、奥壁に彫られた千手観音など、
明らかに仏教公伝以降にしか作りえない特徴が残されています。
仏教公伝は6世紀末とされていますので、
他多くの横穴墓群とも時代があってしまうんですよね。
なのにその特徴をもっているのはここだけ。
群集墳的な性格を持つ横穴墓群の中で1基だけ仏教的な装飾、というのも不自然。

入り口にはベンガラで装飾された円文があり、
 同横穴墓郡内他の横穴墓はこのような三角屋根の石屋形で、
これらは近隣の石貫ナギノ横穴群とも似ています。
 個人的な感想では、
千手観音が彫られた横穴墓も
他の多くの横穴墓群と同じく古墳時代後期に造られていて、
後にこの地が寺院になったのに伴って大きく加工されたのでは、と思っています。
こちらは屋根が造形されていませんね。
もともとこうだったのか、
後世削り取られてしまったのか、
いろいろ不思議が多い横穴墓群です。


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