かつて、
明治や三菱のような旧財閥系資本がこのあたりの炭鉱を吸収しだした頃、
柚木原(あるいは「柚ノ木原」:ゆのきばる)と呼ばれていた地域を中心とした中小炭鉱が、
それら旧財閥系や他の大資本系炭鉱に対抗すべく、
「柚木原炭鉱組合」という組合を発足させました。
その柚木原地区をぶらぶらしたときの写真です
資料に乏しかったり複数の資料で記述が違ったりではっきりとはわからないけど、
この写真はたぶん大正初期に南里喜左衛門なる人物が創業した「ねずみ切炭鉱」の遺構。
だと思う。
(貨)柚ノ木原駅の廃止が昭和42年とだいぶあとなので
「ねずみ切炭鉱」は柚木原炭鉱組合とは関係ないかも。
これは別の組合員だった炭鉱の遺構かも。
柚ノ木原駅跡と付近の遺構についてはこちら。
余談の余談ですが「南里」姓はこの地域では有力者によく見かけるので、
炭鉱あたりで築いた富を基にエネルギー革命後に現代的な事業を展開して地域の有力者として勢力を振るってるのが
この南里喜左衛門なる人の子孫なのかもしれません。
関係ないかもしれません。
ここは柚木原炭鉱組合の、
北島炭鉱なる炭鉱があった(と某資料は語っている)場所ですが、
残念ながら当時を物語る遺構は残っていませんでした。
その建物の跡だけが廃墟になって残ってます。
今はよくわからない場所を探ってみると、
獣道というのも憚られるような険しい道の跡がありました。
その跡を登ってすぐに見つけたのがこの遺構。
何だったのかはわかりません。
奥は資材置き場みたいになってたけど炭鉱時代の名残か後世の汚染かは判断できませんでした。
建物の跡が見えてきました。
全体的に竹藪に覆われていていろいろ大変です。
ちょっと規模が小さいです。
換気抗かな。
地図にはこのすぐ近くに「ねずみ切炭鉱」なるものがあったと記されているので
これはその遺構であろうと判断しましたが、
地図の示す場所とは微妙に、
数十メートルくらいですが、
ずれてるので確定はできません。
もっとも地図の正確性も信じすぎるにはアレな感じですけど。
元からこうなのか、
閉山時に塞がれたのか。
…塞ぐなら真ん中にこんなふうに穴開けたりしないよなあ
排水関係?
実際の大きさはそんなないけど。
天井の穴は元からあったのか廃墟化後に崩れたものかは不明。
元から穴があったように感じるな。
動力室でもあったんでしょうか。
実際はこんな感じなので踏破は難しそう。
途中の農道から舗装路に抜けて脱出しました。
通過した農道は柚木原炭鉱組合の「中央炭鉱」
があった場所を突き抜けているようですが、
それらしき遺構は全くではないけどほとんどなし。
柚木原炭鉱組合川崎炭鉱へ向かってみましたが、
該当地域は見ての通りのありさまでこれ以上の調査は無理っぽいです。
以上の写真はGW中に撮って調べたものですが、
梅雨に入り雨がちな上古墳も炭鉱も藪に覆われてとても訪問できそうにない感じで
引きこもりが捗り過ぎます。誰かどっか連れ出して
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