2013年1月8日火曜日

西隈古墳/古代人の葬儀と石室


脊振山地と佐賀平野がつながる部分というのは
非常に多くの古墳が眠っていまして、
金立山麓を散歩したりすると詳細不明の横穴式石室にでくわしたりわりとあります。
ちょうどそのラインにそって長崎自動車道が通っているため、
長崎道沿いを狙ったかのように古墳が密集しているのです。
高速道路の立地がどういった理由で決められるのは知りませんが、
古代人が安らかに眠るべく選んだ土地に
1500年後に高速道路が走り日夜騒音を撒き散らしていると考えると妙な感慨が湧いてきます。

そんな話とはあんまり関係ありませんがそういう場所にある西隈古墳を見学してたのでご紹介。
ここは石室、石棺がおもしろいので、そっち方面のお話でもしましょうかね。
写真もあんまないし。



墳丘は見ての通り残念な感じです。
一応葺石等の遺物は確認できましたが。

石室開口部。
土嚢でがっちりガードしてあるのですが、
そのおかげでかえって逃げ場をなくした雨水が石室内に流れ込むような気がするのは私だけでしょうか。
っていうか石室内結構土砂積もってたし。

石室は竪穴系横口式石室とされています。
聞きなれないこの形式についてちょっと私見8割くらいで解説しようかしらね。

石室内部。
装飾文様が施された(円形の線刻があるのわかるかなあ)石棺が見えます。
この石棺に口が開いてるのがこの古墳の特徴。












福岡県桂川の王塚古墳とかを見ていただくとよくわかるのですが
(あそこ撮影できないんだよなあ)
九州北部の横穴式石室は
「棺を安置するための部屋」というよりは、
「石棺が拡大して石室になった」と考えたほうがしっくりきます。
実際この辺では「横穴式石室の中に石棺」というのはあまりありません。
横穴式石室には遺体をそのまま寝せてたようです。


古代日本には、遺体を長期間安置して朽ちゆくさまを見守る(と考えられてる)
殯(もがり)というある種の風葬の習慣があり、この風習と横穴式石室は非常に相性がいいのですが、
殯があったから横穴式が流行ったのか、横穴式が流行ったから殯が生まれたのかは
今となっては知りようがありません。


で、この西隈古墳の石棺には見ての通り横口が開けられていて、
「石室」化する前の、「石棺」の段階で殯をスムーズに行うための工夫がなされたのかもしれません。
形としては竪穴式の石室に横から口を開けた石室で、
それが「竪穴系横口式石室」という名前の由来なのですが、
その中に横口式の石棺を置くという、二重構造とも取れる作りになってるわけです。

竪穴系横口式石室というのは竪穴式石室から横穴式石室への過渡期の形式と考えられていて、
他には唐津の谷口古墳が有名で、こちらにも石棺があるようです。
武雄の玉島古墳も竪穴系横口式石室とされてますが、
こちらでは棺をもたず、死床という区分けされた部分に直接遺体を安置するという、
後の横穴式石室と同様の使われ方だったみたいですね。

石棺の横口越しに死者と別れを告げる殯、
そのために石棺は石室となり、どんどん大型化し、飾り立て、
しまいには王塚装飾古墳や田代太田古墳のようなやりすぎ装飾古墳にいたります。
しかし仏式の葬送(火葬)の普及と律令制に伴う薄葬令によって一気に廃れ、
もはや忘れ去られた文化となってしまいました。
ですが、現代の「お通夜」というのはこの殯の名残であるという説もあったりします。

長くなったのでこの辺にしましょう。


おまけ。
西隈古墳墳丘上にあった土器片。
円筒埴輪のかけらかな?
( ^ω^)ワクワク

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