2017年4月6日木曜日

東十郎古墳群



鳥栖市郊外の山中、斜面に沿って存在する古墳群。
記録上は70基あまりあったらしいですが、現存していると認識できたのは数基程度でした。
全体的に水平がめちゃくちゃですが、足場が酷かったんです(言い訳)

舗装道から林道へ歩いて入ると、
林道沿いに口を開けた横穴石石室がいくつか見られます。
いずれも草木に覆われ封土もかなり流出、
石室も荒廃が著しく状態は概ね非常に悪いです。
近付くのも難しい。

これは比較的状態の良かった石室開口部。
昭和40年に道路建設に伴う発掘調査が行われており、
その報告書によればまともな状態のものはひとつもない、
といった有様です。
もともと急傾斜の地形を利用して作られているため、
元の地面と墳丘面の区別が難しく、
開口部見っけと近付いたら天井の盗掘坑だった、なんてことも。
上の写真の明度を弄って穴の中が見えるようにしたもの。
玄室天井から玄門を見下ろしていることがわかります。
しかしこの穴を掘った盗掘者はここから中に下りたと考えると
なかなかにタマヒュン案件です。
(おそらく)上記の天井に盗掘坑のある石室に玄門から入って。
前述の発掘調査の際に内部の土砂はすべて取り除かれはしたようですが、それも40年も前の話。
新たに流れ込んだ土砂でかなり埋没しています。

どれが何号墳なのかも今となってはよくわからないし
整理して撮ったりもしてないのでどれとどれが同一の石室の写真なのかさっぱりです。

玄室から開口部方向を。
複室構造であることがわかります。
前室短っ

天井には盗掘坑がない石室、玄室の様子。
床の上に巨石を配し、その上に石を緩やかに持ち送って積んで、天井に巨石で蓋、
というこのあたりではよく見る構造。
この高さはこの古墳群では最大級と思われ、
他のは巨石2段くらいに蓋で、はっきりわかる持送りアーチ構造は持たない感じでした。
崩壊が著しいので壊れて残ってないだけかもしれませんが。

天井がしっかり残っている石室はとても少なく、
こんな風に天井だけきれいにどっか行ってしまったものも。

それでも石室とわかるだけマシなほうで、
わずかに石材らしきものが見えるからこれも古墳だったのでは、
みたいなのが大半です。
斜面上には巨石がごろごろしてるので、
もしかしたら散逸した石室材だったのかもしれません。

発掘調査以前に庭石用などに運び出されたという証言もあり、
石材が残っているだけでも運がいいほうなのかも。

盗掘というよりも単なる崩落っぽい前室。
発掘調査報告書によると、
羨道には天井石を置かず封土でうめてしまっていたらしく、
むしろ前室が羨道のような役割だったのかも。
羨道に見える部分は急傾斜地での石室への埋葬のため、
葬列が通りやすくするための構造、とか。
まあそれも羨道といえば羨道なので天井なしの羨道をもつ複室構造、
で間違いはないか。


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