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石塚古墳
佐賀県佐賀市諸富町大字為重、筑後川昇開橋のすぐ近くにある…こふn
えっと、どう見てもコンクリートだけど古墳なのかこれ…。
何もかもが残ってなくて古墳に見えないけど、
保存のためにコンクリートで固められた、一応古墳らしいです。
標高3mの低平地に造られた古墳というのは非常に珍しいとのこと。
石室の石積みの最下段の一部だけが残っていたようで、
他の痕跡は皆無のようです。
もちろんもともとの墳形も不明。
1988年に圃場整備に伴って発見、調査され、
多くの出土遺物が文化財指定されています。
この状態で副葬品が残ってたのがすごい。
その後遺構は埋め戻されたのですが、
2009年に再調査が行われ、
石室の様式と出土遺物に一世代くらいの時代差があることがわかりました。
追葬が行われた証拠ではないかと考えられています。
石室の概形を遺構保護のコンクリート上に示してあります。
たぶん残ってた部分をてきとうにつなげて全体像をなんとなく作っただけな気がします。
この辺片袖式の石室なんてないし。
とても「塚」には見えないこんな古墳がある地域の地名が「石塚」なんですよね。
1988年の発掘調査ではもう1基の古墳が見つかっていてそちらは現存していませんが
かつてももっとたくさんの古墳があったのかもしれません。
そんな記憶が地名として現代まで伝わったのかもしれません。
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古賀山一号古墳
せっかく年が明けたのに当ブログは石室だったり廃墟だったりの陰気な話題ばっかなので
巳年にちなんだエントリーでも書こうと思って写真フォルダを発掘。
そして結局中身は古墳のことです。
複室構造の横穴式石室ですが、
羨道がほとんど消失していて前室が羨道のように見えます。
石室慣れてる人が現地見ればすぐ複室だってのはわかるんだけどね。
これは羨道から前門、玄室方向を。
(本来の)開口部方向は藪に覆われてる上すぐ急斜面になっているので
引いた視点では撮れませんでした。
無理やり撮った写真もあった気がするけど
足場のせいかなんなのかブレが酷くて…
2013年1月8日火曜日
西隈古墳/古代人の葬儀と石室
脊振山地と佐賀平野がつながる部分というのは
非常に多くの古墳が眠っていまして、
金立山麓を散歩したりすると詳細不明の横穴式石室にでくわしたりわりとあります。
ちょうどそのラインにそって長崎自動車道が通っているため、
長崎道沿いを狙ったかのように古墳が密集しているのです。
高速道路の立地がどういった理由で決められるのは知りませんが、
古代人が安らかに眠るべく選んだ土地に
1500年後に高速道路が走り日夜騒音を撒き散らしていると考えると妙な感慨が湧いてきます。
そんな話とはあんまり関係ありませんがそういう場所にある西隈古墳を見学してたのでご紹介。
ここは石室、石棺がおもしろいので、そっち方面のお話でもしましょうかね。
写真もあんまないし。
2012年11月24日土曜日
2012年11月16日金曜日
風楽寺古墳・風楽寺南古墳・導善寺古墳
墳丘が後世の墓石で覆われてる古墳を「全面墓石装甲古墳」というらしい。
古墳マニアの間では。
これはそんな全面墓石装甲古墳が2つ隣接している佐賀市大和町の風楽寺古墳。
発掘調査は行われてはいるけど、出土遺物に関する記録があんまない。
内部主体も不明。時代的には竪穴式石室だと思うけど…。
風楽寺古墳のすぐ南、風楽寺南古墳。
(追記:帆立貝形前方後円墳の前方部の痕跡と考えられた部分は削平された円墳の一部で、
前方後円墳ではなく純粋な円墳らしい)
風楽寺古墳は前方後円墳としての形状を保っているので
いわれれば古墳だとわかるかも。
南古墳は古墳だと言われてもわからん。
こちらは風楽寺古墳からほど近い導善寺古墳。
これも前方後円墳だが例によって前方部ほぼ消失。
前方部があったところには近世までお寺があったらしい。
内部主体は箱式石棺とのこと。
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