多久市の牟田辺遺跡で現地説明会が行われたので行ってきました。
写真は9号墳より出土の「三環鈴」
なんとこの鈴、鳴ります。職員の方が鳴らして聴かせてくださいました。
今回の発掘調査では、以前より存在が知られていた9号墳と10号墳、
そして調査中に新たに発見された14号墳が調査されたそうです。
これは9号墳の様子。
本来の開口部は閉塞石も残ったまま、石室横を崩して盗掘した痕跡があるようです。
石室の様子。
矢印の場所から「三環鈴」と「鈴杏葉」が出土したとのこと。
左手側が9号墳、手前は14号墳。
9号墳は円墳と見られていたものの、
発掘調査によって前方後円墳であることが確認されました。
多久市内では過去に前方後円墳は見つかっていないため、多久市初の前方後円墳としてちょっと話題になりました。
もっとも地元の人などは全体的な地形から前方後円墳ではないかという疑惑を持ってはいたようですが。
墳丘断面。こんな状態が見られるのも現地説明会の醍醐味ですね。
墳丘の下、古墳造営前の元の地面には弥生時代の柱跡と目される穴が見つかってます。
付近は弥生~古墳時代の複合遺跡であり、古墳以前にこの場所になにかがあったのは間違いないようですが詳しいことは不明。
9号墳前方部にあった石室。
前方部が造られた後に造られたものではなく、
前方部と同時か、あるいは元からあった石室の上に前方部が造られてしまったか、とのこと。
大人の遺体は入らんだろな大きさ的に陪冢の類のようにも見えますが、
元はなんのために石室だったんでしょうね。
発掘調査中に発見された14号墳。
竪穴系横口式石室であり、9号墳の陪冢では、とのこと。
「竪穴系横口式石室」の定義すら曖昧に見える現状でどうこう言うのもアレですが、
主墳の主体が横穴式石室でその陪冢が竪穴系ってのもおかしな気がします。
っていうかこれ普通に小さな横穴式石室でよくね?
10号墳。
片袖式の横穴式石室を持つという点だけでもこのあたりでは珍しいのですが、
墳丘の作りも珍しい。
石室周囲に大きめの石を積みめぐらし、
その上から封土を盛ったようです。
葺石にしては大きすぎる上に、
葺石がこんな垂直になることはありません。
こうした意図はわからないと説明されましたが、
単に版築で強固な墳丘を造る技術がなかったので
封土の流出防止に石を積み上げたのではって気がします。
掘り出され露出した外見はなんとなく積石塚の仲間のように思えました。
出土遺物。
こちらは10号墳。
9号墳出土の「三環鈴」と「鈴杏葉」
この2種が1箇所から同時に出土するのは佐賀県内では類例がないそうで。
牟田辺遺跡全体はほとんどが食肉センターの敷地で、
今回の調査区画も食肉センターの拡張工事に伴う発掘調査ですので、
ほどなくこの古墳たちも姿を消してしまうと思われます。
仕方ないことではありますが、少し残念ですね。
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