せっかく年が明けたのに当ブログは石室だったり廃墟だったりの陰気な話題ばっかなので
巳年にちなんだエントリーでも書こうと思って写真フォルダを発掘。
そして結局中身は古墳のことです。
複室構造の横穴式石室ですが、
羨道がほとんど消失していて前室が羨道のように見えます。
石室慣れてる人が現地見ればすぐ複室だってのはわかるんだけどね。
これは羨道から前門、玄室方向を。
(本来の)開口部方向は藪に覆われてる上すぐ急斜面になっているので
引いた視点では撮れませんでした。
無理やり撮った写真もあった気がするけど
足場のせいかなんなのかブレが酷くて…
そんなわけで佐賀県多久市の古賀山一号古墳です。
当ブログの熱心なファンが万が一にもいらっしゃったら
この名前でピンとくるものがあるかもしれません。
そう、三菱古賀山炭鉱の竪坑櫓のすぐ近くです。
墳頂に登れれば櫓が見えるかもしれません。
登れれば。
それにしても竪坑櫓の写真酷いな。
こんど撮り直しに行こう。
玄室奥壁付近からGoogle+で流行り(らしい)の「#スレスレ」アングルで。
…袖石になんかいますね。
これは…(;゚д゚)ゴクリ…
蛇の抜け殻だー!!
縁起物キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
(実は1枚目の羨道からの写真に回収したこいつが思いっきり写ってるけど気にしないけでくれ)
気を取り直して、石室内部の様子。
まずは大きさ。
開口部周辺が藪に覆われてるので入りにくいですが、
中はかなり広いです。
これなら秘密基地作れる。
私の頭のあたりにまぐさ石に塗られた赤い塗料(丹)が流されてしまってる痕跡が見えます。
奥壁。
このアングルは記録用としてはどの石室でも撮ってるのだけど、
見せる用としては微妙なのであんまアップしないのですが、
この古賀山一号墳はここに線刻文様があるとのことなので。
…あるか?
袖石も見たけどわからん…。
玄門まぐさ石の前室側にそれらしきものを発見。
水平方向の線は明らかにヒビだけど、
それに垂直な複数の線は確実に人為的なものと思われます。
ただそれが古代人による装飾なのか現代人によるいたずらなのか判断しかねる…。
前室のあたりから羨道方向を。
四角い枠は遺跡保護のため本来の開口部に取り付けられた鉄扉の跡だと思います。
とすると、少なくとも発掘調査が行われた昭和40年時点では、
羨道が残っていたということですかね。
築造当初は、おそらく石室全体が丹塗りで真っ赤だったのだと思います。
長い年月で、塗られた丹は雨に流され、
そしてこの50年くらいのあいだに羨道も消えてしまったようです。
古賀山一号古墳の羨道、開口部付近には、
なぜか「四号古墳」を示す看板が朽ち果てて転がってました。
これが何を意味しているのかいまいちよくわかりませんが、
昭和40年時点で少なくとも4基の古墳があったということでしょうか。
三菱古賀山炭鉱の閉山が昭和42(43?)年とのことなので、
この看板も炭鉱時代の生き残りなのかもしれません。
一号墳のそばに、石室の跡らしき石積みがありました。
比較的石材が小さいので天井付近かな。
掘ったらもしかしたら巨大な腰石が出てくるかも。
P.S.
遺跡などに限らずこういう見学では
「壊さず、持ち込まず、持ち去らず」が原則ですが、
蛇の抜け殻のような生モノはほうっておいても朽ちてしまうだけだろうと思い、
持ち帰って瓶詰めにしてうちの守り神になってもらうことにしました。
全長2m以上はありそうな大蛇の抜け殻です。
0 件のコメント:
コメントを投稿