厳木駅の開業が明治32年(1899年)、
給水塔も同時期に作られたのであろうと考えられています。
蒸気機関車というのは、石炭を燃やしてお湯を沸かし、
沸いたお湯の蒸気圧で車輪を回す仕組みである以上、
燃やす石炭とともに沸かす水の補給も必須になるわけです。
長距離の運行にも支障をきたさないように、
蒸気機関車全盛期には随所に給水塔が作られましたが、
ディーゼル機関車、気動車や電車の普及によって蒸気機関車自体が姿を消すのに伴って、
現存するものはわずかになってしまいました。
現唐津線(当時は「唐津興業鉄道」)は、
唐津炭田の炭鉱、特に松浦川水系での水運を利用できない多久・小城地域の炭鉱から、
石炭を唐津港に運搬するために建設されました。
特に厳木駅と莇原駅(現多久駅)間にある笹原峠は、
唐津方面への松浦川水系と有明海への六角川水系の分水嶺であり、
六角川水系の水運に頼り、
唐津まで大きく迂回して運ばざるを得なかった多久・小城地区の石炭を最短で唐津に運ぶためには、
この路線の開通が必須だったのです。
ここを抜ける隧道の着工から路線の建設が始まりました。
唐津興業鉄道は単線でしたが、将来の複線化も見越して
笹原隧道は複線の線路も通せるように作られました。
もとより難所なうえ複線用の大きなトンネルを掘る工事が難航し、
結局は唐津~厳木間を明治32年に先行して開業し、それより先は順次開業していくことになります。
詳細は省きますが小城駅をどこに設置するかで揉めたりしたこともあって、
全線開通はそれから3年後、明治36年になります。
厳木発の列車用に給水塔が必要であったことが伺えます。
タンクを高いところに設置して高低差を利用するのですが、
そのために当時ノウハウの蓄積もあり信頼性も高かったであろうレンガ積みで塔が建設されました。
大正12年の関東大震災によってレンガ積み高層建築である凌雲閣が崩壊し、
レンガ積み建築が地震に大して脆弱であることが露見して以降レンガ積み建築は急速に数を減らします。
いろんな季節に撮った写真を時系列ばらばらに掲載してしまいました。
文化財として保存されているこの給水塔は、
いつ訪問してもあなたを出迎えてくれます。
解体されるようなことは当分ないでしょう。
あえてオススメをあげるならこれからの桜の季節でしょうかね。
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