こちらの訪問はおよそ2年前となっておりまして
当時既に大規模なソーラー発電所開発が進んでいたため現在どうなっているのかわかりません。
暇を作ってまた行きたい。
開発によって藪が取り払われて遺構がきれいに姿を見せていました。
もっと過去に撮影された炭鉱系ブログの写真と比べると一目瞭然です。
遺構の付近が開発されるというのは基本的には死亡フラグなのですが、
まれに一長一短。
もっともこの開発で近くに残っていた変電所跡が取り壊されたそうで、
短の方が大きそうです。
蔦が刈られて壁面に何か書かれているのが見えます。
が何が書いてあるのか…。
右下の「理」だけは読み取れましたが。。。
内部
おまけ。
西杵炭鉱のホッパーと同じ日に撮った写真のフォルダにあったので関連する何かかと思ったのですが、
いろいろ記録を引っ張り出したら江北町のあたりで全然違う場所でした。
位置的に、おそらく杵島炭鉱五坑の専用線にかかっていた跨線橋の橋脚だと思われます。
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