2013年2月3日日曜日
旧大野木場小学校跡
長崎県南島原市、旧深江町にあった大野木場小学校の跡地。
1991年の雲仙普賢岳の火砕流に飲み込まれ消失。
災害の記憶を後世に残すため、被災当時の姿のまま火砕流遺構として保存されている。
近くの道の駅みずなし本陣ふかえにも
火砕流関係で発生した土石流に飲み込まれ、1階部分が土砂に埋もれた住居がそのままの姿で保存されているので
付近を訪れたら併せて見ておきたい。
正門から。
可燃部位はほぼ燃え尽きている。
校舎裏側。
最近の小学校ではあまり見なくなった
二宮金次郎像が校門近くには残されている。
校舎を襲った火砕流のことを記した案内板。
幸いにも避難が完了しておりこの小学校では犠牲者はいなかった。
校舎を廃墟化させた火砕流に先立つ6月3日の火砕流は、
授業時間中に校舎からわずか400mのところを駆け下りたとのことで、
本当にぎりぎりの幸運だった。
もっとも、その6月3日の火砕流では43名の死者・行方不明者が出ているので
「幸運だった」とは言い切れないところはあるけど
小学校玄関。
枠しか残ってない。
玄関を内部側から。
変形した窓枠、歪んだ窓ガラスが火砕流の恐ろしさを物語る。
500度近い熱波がこの校舎を襲ったという。
燃えるものはほとんど全部燃え尽きた。
教室跡には木の床板を支えていたらしい基礎が整然と残っている。
高熱で歪んだ箱はどこかで見覚えがある形。
これはロッカー…?
階段
2階廊下部分。
右側の窓外すぐのところに「元凶」雲仙岳が見える。
何の教室だろう
これは理科室の跡かな。
家庭科室かな。
手洗い場の蛇口も高熱を受けた跡が生々しい。
火砕流の直撃を受けた校庭のイチョウはかろうじて生き延びて、
今ではここまで青々と葉を付けるようになった。
災害発生当時私は5歳くらいだったかな。。。
なんとなくテレビで見た記憶は残ってる。
※旧大野木場小学校跡はしっかり保存管理されているため建物内に入ったりはできません。
近くまでは寄れるので、それとレンズワーク等で頑張ってそれっぽく撮っただけで、中の様子を直に見るのは無理だと思います。
島原の写真はあと数百枚くらいあるし、しばらくは島原編で更新するかなー
あーでも宮崎あたりの写真も同じくらいあったような…
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