明治維新のころ、神道を国教とした中央集権国家を作りたかった新政府は、
神仏分離令を出して仏教を政府から切り離しました。
これには仏教排斥の意図はなかったのですが、
それまで長いあいださまざまな特権を与えられ強大な権力をふるっていた寺院に
抑圧されてきた人々は、この神仏分離に大義名分を得て、
いわゆる廃仏毀釈という仏教排斥運動が始まります。
この運動は寺院勢力が強かったり国学が浸透していた地域ほど激しかったようで、
佐賀ではこれ以前の仏像の多くは頭部が破壊された跡が残っています。
大半は修復されているのですが、
ときどき頭が見つからなかったのか体だけの仏様がいらっしゃるので、
そういうのをちょっとだけまとめ。
上の写真の仏様の台座部分。
「延宝二年」は西暦1674年。
古い。
佐賀の城下町に残る武家屋敷の廃墟庭部分にあったやつかな。
無縁墓地の首無観音。
墓石?に隠れるように並ぶ首無仏像。
ちょっと怖い。
放置されてるものもあれば、
こんな風にちゃんと祠を建てて花が供えられているものも。
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